この日本語、この日本。

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Japonés y Japón

日本の教育界を考える - Shuichiro

2014/03/27 (Thu) 05:19:16
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20年ぶりに日本の高校で国語教師の教鞭をとって、色々な意味で驚いた。生徒が20年前の生徒と本質的にはほとんど変わっていなかったことにも意外の感がしたが、もっと驚いたのは職員室の雰囲気だった。思春期の生徒の健気な心が変わっていなかったのは嬉しい誤算だったが、教職員の職場としての学校は20年前と大きく変わっていた。
 帰国後すぐに勤めた東京の高校では、国語科の主任はいなく、「スーパーバイザー」なる役職名を与えられた教員が管理職の下部のような役割を負っていた。コンビニやスーパーのシステムを教育現場に持ち込んでいるわけである。
 次に勤めた茨城の高校では、理事長でもある校長に意見を言える教職員がいなく、教頭以下、無力に追従する姿に強い衝撃を受けた。感じやすい年頃の生徒たちに良い影響を与えるわけがない。

(*追記:この茨城の高校の理事長兼校長は2015年4月初めに逮捕された。私はスペインでそのニュースを知った。やはり教育界におくべき人格でないのは、次に述べてあるメキシコの日本人学校の元校長も同じで、取り返しのつかない不祥事を起こす前に教育界から去ってもらうのが、本人のためにも良いのである。文科省はそのへんをしっかりと考えて指導していくべきであろう。)
 
海外の日本人学校も同じ構造である。いや、寧ろ閉ざされた日本人村となってしまうので、学校組織の状況は更に絶望的なものだった。
 メキシコの日本人学校では、日本から派遣された校長が人事権その他のパワーを握っているので、教職員、とりわけ日本からの派遣教員は何も言えない仕組みになっている。校長の一存でいつ日本に帰されるか、びくびくしながらの教育に、子供たちの未来が見えるはずがない。もし、任期途中で日本に帰されれば、派遣教員の日本での教員人生は終わりだと思うから、常に校長の顔色を窺うことになる。これは、極めて深刻な事態である。言うまでもなく、こうした海外の日本人学校組織のゆがみ・ひずみは、そこに通わざるを得ない子供たちの心に深刻な影響を与える。文科省は海外の日本人学校のパワーコントロールの仕組みを早急に調査し変えていき、海外での日本の子供たちの置かれている危急を一刻も早く救うべきである。
 このメキシコ市の日本人学校で私が現地採用教員として勤め始めた2011年着任の校長は、上記のような点でも問題だったが、人品の点でも芳しい噂は聞こえてこなく、とうとう2014年の3月に日本に帰された。地元の父母はほっとしただろうが、こういう人物がそのまま日本の教育界に戻れるというのが、実は問題なのである。
 これらの学校現場で共通していたのが、校長や教頭などの管理者側が職員室にさらに「管理する教員」のポジションを置き、職員室を「見張り合い」の職場にしていたことである。結果、足を引っ張られないように形だけ繕う「形式主義」と上におもねる「縦社会主義」が不幸な合体をする教育現場が出来上がることになる。

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