この日本語、この日本。

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Japonés y Japón

生き辛い日本という仕組み - Shuichiro

2010/07/20 (Tue) 07:44:56
*.e-mobile.ne.jp

あと20年は現役で自己啓発と何らかの意味で社会に貢献したい、と思っている。その場は日本でも良いし、外国でも良い。そう考えながら自分の自己実現の具体的イメージを描いてみると、どうしても日本を出て行くことになる。日本は生き辛い国だ。それは海外に住んだことのある人が日本に住んで実感として感じることに違いない。なぜ生き辛いか。その答えはもちろん単純ではないが、今この目に前にある現代日本の仕組みが人間を幸福にしないように出来ている、と言い切っていいのかも知れない。(この稿続く)

生き辛い日本という仕組み(4) - Shuichiro

2010/12/03 (Fri) 21:38:59
201.141.206.44

 20年ぶりでメキシコシティを訪問した。標高2000メートルの底冷えはあまり覚えていなく、朝晩は結構寒い思いをした。
 さて、私の第三の人生(第一は日本での30数年間、第二はスペインを中心とする約20年間)は、メキシコで、ということになる。一ヶ月ここで暮らしてみて、20年前のメキシコ訪問の際に「いつかまたここへ戻ってくるだろう」と予感したのを、なるほど、という実感で思い出している。
 メキシコは今の私にとって、非常に人生の可能性を感じさせてくれる国だ。日本にいれば、ただの年配者でしかない残りの人生を、ここでなら、あと20年は現役でやるのが当然になってくる。思っただけで、心身ともに力が湧き上がってくる。ここは日本の「形式主義」が役に立たない。まずは、人とのコミュニケーションが前提になる。
その辺の事情を、徐々に書いていきたいと思う。

生き辛い日本という仕組み(3) - Shuichiro

2010/10/10 (Sun) 08:05:45
201.141.206.44

 三十数年、国内外で日本語の商売をやってきた。国語教師と日本語教師である。自分の性分として教育者としてのみ全うするには、自分自身への興味が有りすぎる。さて、これから二十年は現役でやるとして、何を残してゆくか。日本語に関する本をようやく一冊出版しただけである。外から日本を観て、日本語や日本について書きたいことが山ほどある。やり残してきたことをやり遂げるための体と心の準備と鍛錬を、今年は意識してやってきた。
 「お前は五黄の寅だからキカナイんだよ、眉毛がこんなにつりあがって」とよく母親に言われた。運勢と気性が強い、と言われる干支に生まれた。その寅年を五回重ねれば日本ではもうお役御免である。日本は本当の大人が生きにくい仕組みの国である。日本の外で残された生を活かすのが、自然のようだ。 

生き辛い日本という仕組み(2) - Shuichiro

2010/07/30 (Fri) 11:58:31
*.rima-tde.net

20年ぶりに日本の高校で国語教師の教鞭をとって、色々な意味で驚いた。生徒が20年前の生徒と本質的にはほとんど変わっていなかったことにも意外の感がしたが、もっと驚いたのは職員室の雰囲気だった。思春期の生徒の健気な心が変わっていなかったのは嬉しい誤算だったが、教職員の職場としての学校は20年前と大きく変わっていた。
 帰国後すぐに勤めた東京の高校では、国語科の主任はいなく、「スーパーバイザー」なる役職名を与えられた教員が管理職の下部のような役割を負っていた。コンビニやスーパーのシステムを教育現場に持ち込んでいるわけである。
 次に勤めた茨城の高校では、理事長でもある校長に意見を言える教職員がいなく、教頭以下、無力に追従する姿に強い衝撃を受けた。感じやすい年頃の生徒たちに良い影響を与えるわけがない。
 海外の日本人学校も同じ構造である。いや、寧ろ閉ざされた日本人村となってしまうので、学校組織の状況は更に絶望的なものだった。
 メキシコの日本人学校では、日本から派遣された校長が人事権その他のパワーを握っているので、教職員、とりわけ日本からの派遣教員は何も言えない仕組みになっている。校長の一存でいつ日本に帰されるか、びくびくしながらの教育に、子供たちの未来が見えるはずがない。もし、任期途中で日本に帰されれば、派遣教員の日本での教員人生は終わりだと思うから、常に校長の顔色を窺うことになる。これは、極めて深刻な事態である。言うまでもなく、こうした海外の日本人学校組織のゆがみ・ひずみは、そこに通わざるを得ない子供たちの心に深刻な影響を与える。文科省は海外の日本人学校のパワーコントロールの仕組みを早急に調査し変えていき、海外での日本の子供たちの置かれている危急を一刻も早く救うべきである。
このメキシコ市の日本人学校で私が現地採用教員として勤め始めた2011年着任の校長は、上記のような点でも問題だったが、人品の点でも芳しい噂は聞こえてこなく、とうとう2014年の3月に日本に帰された。
 これらの学校現場で共通していたのが、校長や教頭などの管理者側が職員室にさらに「管理する教員」のポジションを置き、職員室を「見張り合い」の職場にしていたことである。結果、足を引っ張られないように形だけ繕う「形式主義」と上におもねる「縦社会主義」が不幸な合体をする教育現場が出来上がることになる。

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